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特産品になるまでの背景/鴨方手延べ麺の正体

本記事は過去に実施したキャンペーンの特別記事です。
内容は2022年取材時のものです。

鴨方手延べ麺の正体 ~特産品になるまでの背景~

前回の記事でご紹介した「手打ち麺と手延べ麺の違い」。お話しを伺う中で、「浅口市鴨方町がなぜ手延べ麺の産地となったのか?」「いつ頃から手延べ麺作りが始まったのか?」と次なる疑問が出てきました。今回の記事は、鴨方が手延べ麺のまちとなった背景をご紹介!

教えてくれた人

最上和洋さん
鴨方町手延素麺生産者協議会会長。『最上手延素麺(有)』の会長も務めており、半世紀近く手延べ麺作りに携わっている。金魚とメダカを愛でることが日々の癒し。

 

 

「天文の町」と「手延べ麺のまち」の共通点!?

浅口市は『岡山天文博物館』を有する、言わずと知れた天文の町。1年を通して晴天が多いことや、大気が安定していて澄んだ星空が観測できることから、国立天文台や京都大学岡山天文台など日本を代表する施設があります。この天体観測に適した環境は、実は、手延べ麺作りにおいても大切な要素なのです。

浅口市鴨方町で手延べ麺作りが定着・発展した理由の一つに、環境の良さが挙げられます。

・晴天が多いこと
・空気が澄んでいること
・湿度が低いこと

麺の熟成と延ばしを繰り返し、乾燥させて作る手延べ麺には、安定した気候環境が必要ということですね。

 

麺作りに必要な材料がそろっていた!

手延べ麺の材料となるのは、塩・小麦・水の3つ。

小麦 岡山県は良質な小麦の産地だった。収穫された小麦は、町内を流れる川の水を利用し、各家庭で所有していた水車を動かして小麦粉にすることができた。
鴨方町に隣接する寄島町は海辺の漁師町。海べりには広大な塩田があり瀬戸内海由来の塩を作っていて、麺作りに欠かせない塩が手に入りやすかった。
鴨方町北部にある遥照山(ようしょうざん)の湧き水があり、水質も麺作りに適していた。

手延べ麺はいつから作られていた?

調べてみると以下のことが分かりました。

・9世紀頃の書物にはすでに、この地方で麺作りが行われていたことを示す記録が残っている。
・400年ほど前には、手延べ麺の産地として栄えていた。
・江戸時代後期には、人力で行っていた製粉作業を、水車を活用することで効率化されますます麺作りが盛んになった。etc.

ズバリ「この時期から、鴨方手延べ麺が作られていた!」と言い切ることはなかなか難しそう。ただ、時代が進むごとに麺作りは栄えていき、明治以降では今の兵庫県に次ぐ麺の大産地として全国に知られていました。

 

まとめ

地域の特産品として今も作り続けられている鴨方の手延べ麺。製麺に最適な気候環境と、材料に恵まれていたことが、地域産業として栄えた大きな理由でした!
鴨方手延べ麺の基本が分かったところで、次は鴨方町手延素麺生産者協議会に加盟する6社を訪問! 基本の材料は水、塩、小麦とシンプルなのに、手掛けている製品や工夫など、各社こだわりはさまざま。奥深すぎるよ、鴨方手延べ麺! どの製品も職人の技やプライドが反映されているイケ麺ぞろい。そして、旨い。

【訪問したのはコチラ】
・最上手延素麺
・岡山手延素麺
・吉田手延製麺
・河田賢一製麺工場
・かも川手延素麺
・奥島創麺巧房(奥島屋)

 

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